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小説 鏡中夢幻

【鏡中夢幻】 第11話

 

「失敗した。アレクサンダーがどこへ行ったか、分からない……」
 クララ女王がつぶやいた。
「子供さえ出来れば良いのよ、そうすれば王家は続き、財産も守れる……でも……たとえそうなっても、大英帝国の圧力をずっと感じながら暮らさなければならないの……?」
 クララは突然にテーブルの上の物を全て放り投げた。
 ペンも、インク瓶も、ハサミも、香水も、グラスも何もかも。
 壁がへこみ、インクの染みが散らばる。
「もう終わりよ!王国も、私も!皆終わりだわ。どうしてたった一つでも願いを叶えてくれないの?私は王家とお母様のために人生を捧げたというのに!」
 その場に座り込み、膝を抱えてすすり泣く。
 やがて泣き声は止んで、クララは立ち上がった。
 部屋の隅には一つの姿見。
 フレームの銀に施された彫刻はかなり細かく、動植物に天女、女神、と美しいもので飾られていた。ところどころ黒く変色し、見ていると吸い込まれそうな、どことなくゆがんだ鏡面の姿見だ。
「……願いが叶うですって?バカみたいだわ、私の願いなんか、叶えてくれないのでしょうね」
 クララはその場にあった紫色のシルクをかけ、自分の姿がうつらないようにした。
 どれだけみじめな顔をしているだろう。
 夫に政略で負け、愛しいアレクサンダーは名前まで与えてやったにも関わらず興味を示さない。
 それどころかサラという地味な小娘と仲睦まじい様子を見せていた。
 爪が白くなるほど拳を握り固め、ぶるぶる震えていると侍女のシルビアがやってきた。
「大変です!ミストウィルド王国でクーデターが起きたと……!」
「なんですって!?」

 8月下旬、秋祭りの準備が進められていた。
 もくもくと入道雲が青空に浮かぶ中、山車の飾り付けが急ピッチで進む。
 市場もそれに合わせて活気づき、皆楽しそうだ。アレクも協賛として多額の資金を寄付している。「のくたあん」と書かれた提灯が山車に飾られていた。
「当日は本殿も解放される。夜の神社は雰囲気が違って素晴らしい。見に行こう」
 とアレクは言った。
「それは良いですねえ。当日のお食事は軽めにいたしましょうか?」
「お岩、当日は休みに。子供たちを連れて遊びに行けば良いだろう」
「え、そうですか?」
「ああ。よく尽くしてくれている礼だ」
 アレクは岩にボーナスを渡した。二か月分の給与に値する額である。
 ただでさえ二等書記官の館の給仕としては高給だ。だが岩はその分よく尽くしている。
「まあ、こんなに」
「せっかくだ、祭りに着物を新調するといい」
「ありがとうございます!」
 岩は喜色満面で、しっかりお金を握りしめアレクに何度も頭を下げた。
「お前も。祭りに合わせてかんざしでも」
 そうアレクが言った瞬間、沙羅は奥多摩でのことを思い出し頬に熱を持つ。もう沙羅は必要なものを持っている。
「気に入っているものがありますので、結構です」
「前に写真を撮った時につけていたものか?」
「はい」
 アレクにもらった、とても大切な宝物である。それをつけた思い出が増えるのは楽しみだ。
 だがアレクはわずかに眉を寄せ、沙羅には分かる程度に不機嫌な顔をする。
「あれは……なんなのだ?ご実家から頂いたものか?」
「え?」
 ああ、そうか。アレクは知る由もないのだ。
 3年後の彼に買ってもらったものだと。
「これは……その、秘密です」
「……」
 アレクは沙羅をじっと見る……探るような、睨むに近い目で。

 新しい反物で子供たちの着物を縫う岩に習って、沙羅も秋まつり用の着物を縫い始めた。
 まだ暑さが残っているため薄いものを重ねるつもりである。
 和裁はまっすぐ、が基本だ。洋服ほど縫うのは難しくない。
 元々裁縫は得意な方だ。
 沙羅は明くる日も縁側で縫い続ける。
 少しはしたないと思いつつも、暑さに着物の裾をあげ、膝まで出して風を受けていた。
 集中して塗い、気分が良くなって自分では気づかぬまま鼻歌を歌う。
 足をぶらぶらさせていると、「懐かしい歌だ」とアレクが言った。
 沙羅は振り返り、彼を見た。
「……今、私、歌ってました?」
「ああ。私もその歌は好きだったよ」
 そう言って彼は書斎へ行った。
(私、何の歌を……でも、少なくともこの時代の歌じゃない……よね?)

 

 鹿鳴館での役目を終え、午後にヒグラシの鳴く声を聞きながら館に帰る坂を登る……そこにいた客の姿に沙羅は目を見開いた。
 すっと背が高く、黒髪の異国人で、眼鏡の似合う彼。
「エドマンド侯爵」
 名を口に出すと、彼は沙羅を向いた。
 彼の瞳には冷たい知性が宿り、背筋を伸ばしたその姿勢からは揺るぎない自信が漂っている。鹿鳴館でも日本人、異国人問わず数多の女性が彼に熱い視線を投げるわけだ。
「何の御用です?」
「何ということもありませんよ。君と話がしたかったものですから」
 警戒する沙羅と違い、エドマンド侯爵はゆったりとしていた。
「何の話を?」
「そう警戒しないで。私はね、別に女王のために動いているわけではないから。君と彼の仲を引き裂くつもりはないんだ」
「え?」
 沙羅は眉を寄せた。侯爵だと言うのにどことなく女王に対し不遜ではないか。
「強いて言うなら君自身に興味がある。君は何か秘密を抱えているだろう?それが気になって目が離せないんだ」
 沙羅は喉が苦しくなるのを感じた。無理に息を吸い込み、荷物を持つ手に力を込める。
「私は……」
「例えば……未来から来た、とか?」
「……」
「当たりか。どうやってその力を手に入れ、どうやって使った?私に教えてくれ」
「未来から来たなんて、そんなこと、出来るわけないでしょう。ジョークなら鹿鳴館でご婦人方にお聞かせして下さい」
 エドマンド侯爵の質問は的確すぎる。沙羅は冷静を装い、毅然と断った。
(一体、何者なの?もしかしてエドガーさんが言っていた”異分子”?)
 だが、だとしてもどうすれば良いのだろう。
 少なくとも彼は何か妙だ。顔は美しいが、気配が怖い。
 沙羅は館に入ろうとしたが、彼の杖がそれを遮る。
「誰でも良いというわけではない。いくら貴族を名乗っても、ドレスを脱げばただの人だ。その時にこそ人としての魅力が分かるというもの」
「あなたは何者なんです?何を求めてるの?」
 と沙羅が詰め寄ると、エドマンド侯爵は微笑みを浮かべながら、少しだけ顔を近づけて言った。
 青い目が沙羅を映し込んでいる。
「それは私が一番、知りたい。……奥方。君はよく見れば子鹿のようななかなか可愛らしい顔をしている。肌もなめらかだ、よほど夫君に可愛がられているのだろう」
 そっとエドマンド侯爵の手が沙羅の頬を撫でた。
「たった一つ選択が違えば、我らの出会いも変わっていた。だが確かなのは、今君とこの時間を過ごしているのは彼ではなく私ということだ」
 ヒグラシが切なく夏の終わりを告げる中、沙羅とエドマンド侯爵はただじっと視線を交わしていた。
 その時、馬がいなないて坂道を登ってきた。
 乗っていたのは近藤である。
「奥様!」
「こ、近藤さん」
 さっと馬から降り立つ彼の隣に逃げる。
 流石にエドマンド侯爵も追う事はせず、杖で地面をついて姿勢を正すと不敵な笑みを浮かべて見せた。
「まあいい、チャンスはある。奥方、無知なアレクサンダーと違って私ならもっと良い道を示せるかもしれないぞ」
 彼はそう言うと帰ってしまった。
「奥様、ご無事ですか?彼は一体?」
「……鹿鳴館の来賓です」
「そうなのですか?少し、嫌な気配がしましたが……」
「……とにかく助かりました。ありがとう……近藤さんのご用は?」
「兄弟が祭りの日に芋を献上したいと……そのお話に」
「そ、そう……」
 急に緊張が抜け、足と手が震えて来た。
 エドマンド侯爵は知っているだけではないのだ。鏡を利用しようとしているかもしれない。
 エドガーに会って、相談しなければ。

 それから二週間後、祭り当日がやってきた。
 沙羅は早くエドガーと会いたかったが、なぜか会えないままだった。
 昼間は山車が通りを進み、祭囃子が街をにぎやかに彩っていく。
 薄い衣を重ねたような着物を着、沙羅はアレクと歩いた。
 歩く度下駄がからころ鳴って、人びとのよく焼けた肌とすれ違う。
 出店で遊ぶ子供たちを見ながら歩いていると、木の陰に休むようにする小柄な人影を見つけた。
(エドガーさん?)
 花柄の女性ものの羽織。
 間違いない。沙羅は立ち止まり、「あ、あの、忘れ物をしたから」と適当なことを言ってその場を離れた。
 エドガーは人けのない物陰に隠れようとしていた――彼に声をかける。
「エドガーさん!」
 小声で言うと、彼はすっかりやつれ果てた顔を沙羅に向け、弱々しく笑った。
 彼に食事と飲み物を与え、説明する。
 多少生気を取り戻したエドガーは神妙な面持ちで頷いた。
「異分子か……」
「人そのものでした。なぜそうなったのでしょうか。奥多摩の私と一緒ですか?」
「願いが叶う形は様々だが、一つ言えるのは「ゆかりがある」ということだ。そいつもまた別の世界から来たなら、この世界に縁者がいるってことだろうな」
 ゆかりがある。沙羅は顎に指を当てて考えた。
 たとえば沙羅はサラとそっくりだ、というような?
 それとも、あの侍女……名前をシルビアといっただろうか?に「おばあ様」と呼び掛けていた。
 彼女がゆかりある人物なら、ありえるのかもしれない。
「どうすれば良いのかしら」
「願いを叶えろ」
 エドガーのアドバイスはいつもそれだ。
「彼に気をつけながら?」
「ああ。ま、大丈夫。あの鏡は女性の願いにしか反応しない。奴が見つけても使えやしないさ」
「そうなら良いんですけど……」
「けど?」
「時系列っていうのかな……それがおかしいんです。アレクはクララ女王からその名前を賜ったそうなのに、彼はすでにアレクサンダーなんです。戸籍も。産まれた時からずっと。それに、出身地も鹿児島のはずが、長崎で」
「……なるほどなあ。アレクサンダーが自分自身を取り戻せれば、この世界の流れが変わるかもしれないな……」
「どういうことですか?」
「アレクサンダーもまた、どこからか連れてこられた存在かもしれないってことだ」
 沙羅はどきりとした。
 思い当たる節はある。
 アレクは腕時計を見るような仕草をし、沙羅の鼻歌に反応した。
 もしそうなら、あるいは、彼とどこかで出会えるかもしれない?
「彼と私は……ゆかりがある?」
「そりゃ、あるだろう。まあ、詳しくは俺にもわからない。悪いな、この世界に囚われて、彼女に厳しく見られてる。以前よりも動きにくくなって……どうにも、色んな願いが交錯しているようなんだ。気をつけろ、お嬢さん。願いを見失ってはいけないが、願いに囚われちゃいけない」
 沙羅はぐっと下唇を噛んだ。
 アレクとずっと一緒にいられたら……そう思う度にそれを封じてきた。
 それは沙羅の願いではない。
 彼のことを知るために来たのだ。
 彼に何があったのか……。
 沙羅は深く頷いてみせ、エドガーに提案した。
「館に来てはどうですか?アレクに話してみるから……」
 充分に食事も摂れていなさそうだ、エドガー自身の体調も心配である。
「いいや……無理だよ。俺がいられるのは神域だけだ……良かったよ、日本はそこかしこに神社があるから」
 そういうとエドガーは羽織に身を隠し、木陰に消えて行った。

 鳥居の前まで行くと、アレクの姿をそこに見つけた。
 ひときわ背が高いため見失うことはない。
(ここで彼と一緒にいることを望んだら、きっと道を間違えてしまう)
 彼のことを想うからこそ、その願いを封じ込めるのだ。
 沙羅はサラではない。彼女の人生を邪魔してはいけない……そう思いを改め、こちらを見て微笑む彼のもとへ行く。
 すっかり夜の気配が色濃くなり、もう季節が変わったのだと思い知る。
 陽が沈むのは早くなり、ヒグラシの声すら遠くなっていた。

 月の下で樹々が風に揺られてざあざあと音を立てていた。
 朱に塗られた鳥居、参道を照らす松明の火。
 下駄をからころ鳴らして石畳を歩き、近づいてくる祭囃子を聞く。
 彼と手をつないでいた。温かくて大きな手。
 その体温に触れているだけでほっとして、横顔をちらっと盗み見れば、アレクは気が付いてこちらを見た。
 紺色の目。外で手をつなぐのははしたない、と言っていたが、この時だけは特別だ、と。
 清流を渡す橋を通って鳥居をくぐり、露店が並ぶ夜のにぎやかな境内を見て回った。
 子供たちが狛犬に登り、怒られている。
 シャーロック・ホームズを思わせるスーツを着た外国人が、お尻のふんわりした形のドレスを着た女性たちと歩いていた。
 軍服らしき黒の制服を着た日本人男性達が境内を守るように立っている。
 近藤の姿もあった。

――これは夢ではなかったか。

 子供の頃はこれをよく見ていた。
 この風景がたまらなく懐かしく、行ったこともない神社の祭りの気配が沙羅の郷愁を誘っていた。
 隣に歩く彼は、そう、恋人だ。
 子供心にそれをよく知っていた。
 優しく、誠実で、頼もしい。いつも沙羅を守ってくれる、理想通りの人。
(どうして……)
 これは夢だったはずだ。
 なのに、今、その世界をアレクと歩いている。
 まるで夢をなぞるように。

 アレクがかんざしに触れ、顔をあげた。
「抜けてしまうぞ」
「本当?」
「ああ……よく似合う。贈ったのが私でないのが悔やまれる」
「これは……」
 世界が二重に見えた。
 松明の火が空間を揺らすから?
「アレク?」
「どうした?」
「ここにいる?」
「当たり前だ。迷っても大丈夫。必ずお前を見つけるから……」
 手が強く握られる。
「そうだ、次の休みに出かけよう。新しく出来るんだろう?なんだったかな……ああ、麻布台ヒルズだ……」
 それは現代の物だ。聞き間違えなのかと思ったが、喧噪ではっきりと聞こえなくなってくる。
 アレクの声が遠ざかっていく。
 沙羅は激しい頭痛に襲われ、そこから意識を失った。

(アレクは一体、誰なの?どこに本当の彼は消えてしまったの?)
 やまぬ疑問が沙羅を支配していた。
 願いを叶えるしかない。やるべきことは分かっているのに、なかなか進まないのだ。
 もしかして、彼は何か知っている?
 エドマンド侯爵。いや、知らないはずだ。彼もまた願いに囚われていると言っていたのだから――。
「目が覚めたか?」
 アレクの心配顔が視界に入る。
 名前を呼ぶと、彼はほっと息を吐いて椅子に体を預けた。
「良かった。医者が言うには、人に酔ったのだろうと。だがここにはMRIもない。詳しくは分からないだろう……」
「MRI……ですか?どうして……」
 あれは今からずっと未来の話だろう。
 体を起こすとズキン、と頭が痛む。
「無理をするな。明日まで休みだ、しばらく横になっていなさい」
「アレク、待ってください。どうして知っているの?」
「何をだ?」
「未来の事……」
 言ってから沙羅ははっと口を押さえた。
 だがアレクはまるで分からない、と沙羅を見据えている。
「何の話だ?未来とは?」
「えっ……」
「とにかく、休むんだ。栄養を摂って養生すればきっと良くなる」
 アレクがベッドから離れて行く。
 沙羅は無意識のままにその手を掴んだ。
「心細くなったのか?」
「い……いいえ。ごめんなさい」
 そっと手を放す。
 どうしてか、アレクが遠くに行ってしまう気がしたのだ。
 いや違う、もうすぐ別れが近づいている、その感覚があった。
「アレク……気を付けて下さい」
「一体どうしたんだ。心配することは何もない」
「鹿鳴館です。用心するに越したことは……」
 いけない、未来を話せば、彼のことを知ることは出来なくなる。
(何を考えてるの)
 自らを戒めるように手を握った。
 知るために来たのだ。
 それ以上を求めてはいけない。
 唇を噛む沙羅の頬をアレクが撫でた。
 じんわりと溶けるような温かさに視界が潤んだが、涙をこらえる。
(まだ彼を知らないのに、どうして別れが来るなんて思うの?)
「サラ。大丈夫だ」
 アレクは声を和らげる。
 沙羅は頷くと「もう寝ます」と告げ、一人になった。
 涙が溢れてくる。
 なぜなのだろう?
 ”サラ”が泣いている気がした。

 

  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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