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コキュートス 小説

【コキュートス -月下のバレリーナー】第11話

 

「コキュートス。ギリシャ神話の冥府に流れる川。裏切者を許さぬ氷地獄のこと」

 

 画像で見るヴィットリオは気難しい顔をしたプロレスラー体型の男だった。
 スキンヘッドに、腕と背中に入ったクロスと聖母マリアの入れ墨。
 やや薄い目の色、白い肌、異国の地が混じった移民何世である、と聞いている。
 彼がクラネ・ジェーロに所属したのは、実家が借金まみれであるということが原因だという。
 カネのためにマフィアになったはいいが、妻が奇病にかかり、マフィアの縁者ということで病院からは見放された状態であると同時に、治療費がかかることが彼のネックになっていたようだ。
 清掃員兼ボディガードとしてクラネ・ジェーロについており、多少ならアウグストとの接点もある。
 協力者としてかなり良い選定だ。家族と思う気持ちを忘れない男はマフィア内では珍しいため、協力関係を築ければ信頼できる者になるだろう。進藤のお墨付きもある。
 会ったことはないが、この作戦を考えた高梨という男は切れ者のようである。
 ――組織内で不満を持っている人物に接触し、パソコンを奪取する。
 確かにパスワードだけを押さえても意味がない。パソコンの中にこそ、欲しい情報があるのだ。
 その作戦にヴィットリオはかかせない。
 ネイサンはいよいよ彼と接触することになった。
 ヴィットリオはマフィアでそこそこのカネを得ているにも関わらず、やや塗装の剥げた中古車を運転してきた。
 落ち合うのはクラネ・ジェーロ傘下の店だった。その監視カメラが映らない場所をネイサンは把握している。
 彼に荷物を持ってきてもらう体を装っていた。
「へえ、あんたか」
 窓から顔を出し、いたずらを思いついた子供のように笑ったのがヴィットリオだ。
 画像の男だが、印象はかなり違う。人好きのする笑顔の持ち主だった。
「マジかよ。ネイサン、お前、カポ(首領)の気に入りの右腕なのに」
「ヴィットリオ。挨拶が遅れてすまないな」
「良いよ。俺は出世できない奴だから。会えないのは仕方ないんだ」
「君の奥方は、今日本で治療を受けているはずだ」
「そりゃ良かった」
 ネイサンは進藤から送られた彼女の映像を見せた。
 病院のベッドで静かに眠る金髪の女性。ヴィットリオは目を細めてそれを見る。
 それを見ると、ネイサンは確信した。
 彼なら信頼できる。
「あの細い日本人から話を聞かされた時は驚いたよ、ただのカジノ狂いかと思ってたのに」
「彼はなんと?」
「アウグストの持ってるノートパソコンを入れ替えろってやつだろ?」
「その通りだ」
 進藤はお膳立てを済ませている。ヴィットリオはただの清掃員だったが、ボディガードにまで昇格させたのだ。
 カジノ・バーでわざと喧嘩を起こさせ、彼のボディガード達を上手く巻いてアウグストにわずかなピンチを与えた。
 そこにヴィットリオを登場させたのである。モップ片手にアウグストの前で大立ち回りを演じた彼は、アウグストの目に留まり、週4でボディガード職も回されるようになったのである。
「でもどうやるんだ?あんたはあいつのVIPルームに呼ばれることもあるんだから、俺なしでも……」
「アウグストは用心深い男だ。私一人では出来ない」
「そういうもんか?」
「ああ。ハイテクが進んだゆえの盲点を突く。そこで君の出番だ」
「へえ」
 ネイサンはヴィットリオから荷物を受け取り、解散した。
 箱の中身はスマホだ。新しいものだが、これを胸ポケットに入れた。

 

 一方、現地イタリア捜査局。
 パソコン前に張り付いていたのはレオナルドである。
 3発撃たれた痕は残ったが、いずれも致命傷を避けていた。
 警察署の前でビニールにくるまれて転がっていたところ、明け方に同僚が気づいて病院へ運ばれた。
 筋弛緩剤が打たれ、その効力が切れたころに睡眠薬を投与されたらしい。
 道理で撃たれた後の記憶がないわけだ。
 そして胸ポケットにはUSBメモリーがあった。
 今そのチェックを行っているところである。
 仲間とともに確認していると、流れる映像は薄暗い店内。
 派手な装飾とシャンデリア、ガラステーブルの上には花と酒とお菓子。
 夜の店なのは間違いない。
 そこに現れたのは地元有力者だ。禿げ上がった頭、シャツのボタンを弾きとばさんような腹。
 彼はテーブル前の黒の革張りソファに腰を下ろし、手招きした。

 現れるのはハイヒールと網タイツ。
 カメラは位置を変えないため、その顔は見えない。
 どうやら女のようだ。革のミニスカートを構わずに彼にまたがると、彼のシャツを脱がせ、猫のように腰を柔らかく曲げて愛撫をし始めた。
 有力者は笑い声と喘ぎ声を混ぜて喜んでいる。
やがてベルトが抜かれ、女は有力者の両手首をまとめて縛り、スラックスからモノを取り出すと自分の中に入れてしまう――
「売春だ」
「待て待て、個人的なつながりなら逮捕出来ない」
「どう見ても売春でしょ?」
 パソコンからはわざとらしい女の嬌声と有力者のだらしない声が聞こえてくる。
 聞くに堪えない――とレオナルドは音量を落とそうとした、が、その時。
「さすがリヴィアの店だ」
 と、有力者が言った。

 レオナルドはたばこを吸いに外へ出た。
 リヴィアの犯罪歴自体は知っている。彼女は元モデルで、売春をやっていたが徐々に斡旋の方へまわっていった。
 芸能界の知り合いも多く、客も幅広い。
 かなり稼ぎ、地位も得、果てに逮捕されたが、アウグストが保釈金を支払い彼女はまんまとモナコへ逃亡したのだ。
 美しいリヴィア。まっすぐな黒髪は額と肩甲骨あたりでぱっつり切り、涼し気な目元と赤い口紅の似合うクールな美女。
 ブラックスーツの中は黒のレースのテディ……もしくは真っ赤なハイレグだった。
 スクリーンに映しだされた彼女の姿に何度焦がれたことだろう。
 だが、あの有力者の言葉から察するに、あの店は間違いなくそうなのだ。
 リヴィアがアウグストの下で築いた売春の城。
 彼女が女性たちを売っているというなら、やはりそれは罪だ。
「はーぁ……」
 女神のようだと思った自分が情けない。
 彼女の本性は変わらない。そして彼女の視線の先も。
 そしてこのUSBメモリーを渡したのは……
「ネイサン・ブラックモア……いいや、安東 寧人か……。全く、俺も見る目がないねえ」

 

 ネイサンはヴィットリオから預かった新しいスマホになるべくプライベートに近い者の連絡先をコピーした。中には旬果のものもある。
 これでアウグストから指摘されてもごまかせればいいが、望み薄だ。
 オテル・パラディソの地下駐車場に入り、そこで進藤に連絡を入れた。彼はもう日本へ着いたはず。
「進藤?状況はどうだ。」
「無事帰国しました。これから高梨さんと会います」
 彼はすぐに報告した。
「わかった。ヴィットリオと接触成功。彼の妻はどうだ?」
「んー、順調っすね。珍しい病気だけど、手術と薬で何とかなりそうって。ただ薬の悪影響避けるために不衛生な場所にはいられないだろうから、しばらくこっちで診る必要があります」
「……それは良かった。作戦が済んだら、ヴィットリオと彼女を一時的に保護しないといけない」
「場所の選定中です。また決まったら連絡を。それから、現状報告です。青野さんは実家へ帰省中だそうですね。GW兼ねて休暇です。ちょっと嫌なタイミングでした」
「どうしたんだ?」
 進藤は少し声を落とす。
「実は……絵画、見つかりにくくて」
「難しい話じゃないだろ?金で描かれた……」
「そうなんですけど、展覧会が大阪、東京、名古屋の3都市で同時開催なんです。オリジナルは顧客とディレクターの大原さんが把握してますけど、問題は絵画の識別番号は展覧会に合わせて付け替えられてるし、似た作品もあって……」
「特定が出来ない?」
「はい……」
「旬果……青野さんに訊けばわかるだろう?」
「そこなんです、彼女休暇に入りました」
 GWの振り替えと、出張後の休暇だ。
 ネイサンは眉間を押さえると息を吐く。首を横に振って顔をあげた。
「そういうことか……そして彼女はスマホを失くしている」
「そうです。仮のタイトルも顧客が書き換えたらしいんです。正式名称がないですし、そりゃつけないとダメなんですけどね。その時にパソコンの方でも名称変更。仮のタイトルはデータに残してるそうなんですけど、確認には時間がかかるって。大原さんは協力的なんで、展覧会が終わったら見ても良いけど、騒ぎにはしたくないって……。まあ、一応目録はありますし、目星をつけられます。まだ楽かもしれません」
「青野旬果が送った納品書は……」
「お察しの通り、顧客のもとです。そしてプライバシー保護の問題があります。説得は高梨さんが得意だと思いますけど、他の仕事もあるんですよ。時間の問題から言って、展覧会開催中にしらみつぶしをやってしまった方が早いっす。まさか大原さんの顔に泥を塗るわけにもいきません」
 ややこしい話になった。
 つまり、少人数で、一つ一つそれらしい絵画を確認しなければならない、というわけだ。
「問題を抱えてるのはそっちも同じだからな……頼んだ、進藤」
「はい。やります。まず近い東京から行きますよ」
「ああ……」
 ふと思いつき、ネイサンは続けた。
「大原綾香から青野旬果へ連絡を取ってもらうわけには行かないのか?」
「実はお願いしたんです。そしたら今連絡が取れないって」
 ネイサンは心臓に針を刺されたような痛みを感じた。
 どういうことだ?
「実家は……」
「長野です。ご両親が大原さんに説明した限りでは、病院へ行ってるそうです」
「病院……?」
「はい。ご友人が入院されたらしくて、その時一緒だったから付き添いで……」
「彼女に何かあったわけでは……」
「今のところないです」
「そうか……。しかし、こっちでパスワードを確認できれば……」
 悔やんでも悔やみきれないことだ。
 本当にタイミングはなかったのか?
 考えても考えても難しい、彼女はしっかりと包んで、鍵をかけられる場所へ保管していたのだ。部屋には鍵付きのロッカーがあるのだから。
 探せば鍵は見つけられただろう。そして包を開き、絵を確認する……いや、鍵を見たか?
 彼女はプロだ。顧客の大事な高額商品を、その辺に放りだしたりしない。それに、オテル・パラディソには客が使える倉庫があるじゃないか。
 実際、ネイサンはそれらしきものを部屋で見ていない。それに、
「仕方ないっす。どこで誰が見てるかわからない状態では、リスクが高すぎますよ。青野さんにも危険があったかもしれない」
 進藤の言ったことが一番の理由だった。
「分かってるんだ。だから日本へ送れば、と思ったが……こうなるとは」
 通話が終わると、どっと体が重くなった。
 だが倒れている暇はない。
 この機会を逃せない、それに、もしミスがあれば自分はおろか、旬果の身も危険だろう。
 アウグストは彼女を知っているのだから。

 

 次の日、ネイサンは教会へ向かった。旬果と訪れた小さな教会である。
 前から3列目の長椅子に座り、聖母マリアに祈りを捧げるポーズを取る。後ろから手が伸び、ジーンズに紙が入れ込まれた。
「頼まれてたスケジュールだ」
 ヴィットリオの声である。彼はそのまま後ろに座る。ふんぞり返った姿勢は、敬虔な信者には見えなかった。
「ああ。よくやった」
「ついでにカポの行動を一週間見ろ、なんて、どんな指示なんだよ」
「これで彼がいつ、どのタイミングでどこにいるかが把握出来るだろ?」
「あー……そういうことか。女とヤるタイミングから、トイレに行くタイミングまで」
「それは指示してないぞ」
「冗談だって!」
 ヴィットリオは満面の笑みを浮かべた。
「あいつ、今は特定の女としか寝てない」
 そういう話をしたいわけではないが、ヴィットリオはしたいのだろう。ネイサンは彼との協調性を高めるため、背を向けたまま頷くことにした。
 それに、話の内容によってはヴィットリオの実力が分かる。
「カテリーナって女だ。金髪で、背が高く、賢いやつ。しかも驚くぜ、ズームかなんかでもう一人ともヤってんだ。画面越しに3Pだ」
「ああ……黒髪の、緑の目の女か?」
「そうだよ、なんで知ってんだ?」
「画面越しの女はリヴィアだ。彼女とアウグストはお互いの部屋に隠しカメラを仕込んでる」
「はあ?」
 ヴィットリオは間抜けな声を出した。表情は見えないが、目を大きく見開いていることだろう。
「まだるっこしいことを。リヴィアってのをこっちに呼べばいいんじゃねえのか」
「アウグストは……リヴィアの痴態を幹部に見せることで優位性を誇示しているんだ。かつて誰もが憧れた高級コールガール、今や売春の城の孤高の女王を支配下に置いた姿を見せることでな。彼女も虚栄心から簡単にアウグストに脚を開けない。だからお互いに見せつけ合ってる。アウグストは別の女との情事を彼女に見せ、彼女の自尊心を汚そうとしている……二人は互いに目が離せない関係になったんだ、弱点を握らせないために……」
 互いへの好意というより、支配欲といったところか。何より不信感が常に横たわっているのだ。
「つまりお互いに信頼してないってことか? 吐きそうな関係だな」
「ああ……」
 だが、アウグストのその性格がネイサンには幸いしたのかもしれない。
 彼はネイサンに旬果からパスワードを聞き出すよう、指示しなかったのだ。
 そこにどんな理由があったのか……自分でやれば完全支配権を握れると思ったのか、ネイサンにパスワードを握らせないためだったのか。
 ヴィットリオは席を立ち、ネイサンはポケットの紙を取り出す。
 アウグストの当面のスケジュール、一週間のおよそのルーティーン。
 それと、普段彼があのノートパソコンを置くのはロッカ・ディ・ルチェのあの大広間。そこにある小さな棚だ。
 その監視カメラ、隠しカメラと盗聴器のありかだ。全部で7台。ヴィットリオは掃除中にそれを見つけ出したのだ。
 そしてアウグストとリヴィアのひそかな駆け引きまで盗み見るまで至っている。
 素晴らしい結果だ。ヴィットリオは指示を出されると本領を発揮できるタイプのようだ。
 次に、隣に男がやってきた。
 彼は前を向きながらネイサンに小声で話しかける。
「やってくれたな。かなり痛むぞ」
 眼鏡を外していたから、一瞬誰か分からなかった。髪もきれいに散髪されており、仕事が出来る銀行員といった風。
 レオナルドだ。
「生きてたか」
「殺すつもりじゃなかったんだろ」
「ああ」
 ネイサンは書類を渡した。ヴィットリオとその家族についての情報である。
「彼と家族の保護を。それからアリバイ作りだ」
「どうするんだ?」
「彼がカメラに細工をする。ごまかせる間に、ノートパソコンを取り替える」
「それはいつだ?」
「ロッカ・ディ・ルチェに出向いている間だ。ここならヴィットリオはアウグストの側にいて、疑われない。だがヴィットリオが迷わないとは言えない」
「裏切らせるわけだからな」
「ああ……言い方は悪いが、彼の妻は人質みたいなものだ。ヴィットリオが彼女を見捨てるとは思わないが……彼のサポートを頼む。彼の信頼を裏切ることは許されない。家族のために行動出来る男だ」
「わかった。彼の家族を安全な場所へ連れて行く」
 レオナルドは立ち去った。
 ネイサンは体を曲げ、組んだ両手に額を押し付けた。
 ブレスレットが手首を滑り、氷の傷跡を金属の留め具が叩く。
(旬果……)
 共に過ごしたのはわずかな期間。
 だが潜入を続けるネイサンにとって、彼女との日々は色鮮やかなものだった。
 あの肌のぬくもりが思い出される。
 無事なら良い。
 無事でいてくれるなら、それで。

次の話へ→【コキュートス -月下のバレリーナー】第12話

 

 

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